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*壊れたPCの行方 〜2004年2月下旬〜
以前からファンが壊れたままのPCは、仕事の辛さからなかなか手放すことが出来ず いまだに修理に出せないでいた。 でもそろそろイエローナイフを出ることだし、いつまでもこの状態でいるワケには いかない。 なので2月に入った頃から日本に居る頼りになる友人T氏に頼み、東芝のサポート に連絡をしてもらった。 東芝はトロントに修理工場を持っている。だからトロントで直してもらえるだろう。 そう考えていたのだが、話を聞いてみるとなぜか日本で修理ということになって しまった。 しかし故障内容が明らかにPC側の問題(とアタシは確信している)であり、また保障 期間内であったので、輸送費用は全て東芝が出してくれることになった。 ついでにPCを梱包するダンボールも送ってもらえることになった。 そういう話がつくまでなぜか1ヶ月も待たされてしまい、アタシはイライラさせられた。 どうもイエローナイフが田舎過ぎて、普段東芝が利用している業者が自宅まで取りに 来てくれないらしい。 他の運送業者を探していたそうだが、それにしたって遅すぎ・・・。
2月末頃ようやく東芝から「梱包用品を送ったので、届き次第梱包し、DHLという 運送会社に連絡して自宅に取りに来てもらってください」と言われた。 梱包用品が届いたので、その通りDHLのサポートセンターに電話した。 するととても感じの悪いオンナが出た。 アタシが英語が出来ないのは聞けばわかるはずなのにペラペラしゃべるので、 「ゆっくりしゃべってくれ」と言ったのに全く口調を変えず、すごく感じが悪く、おまけに アタシとの電話の最中に同僚としゃべってケラケラ笑っていた。 アタシがブチギレながらもイエローナイフまで取りに来て欲しいと言ったら「ダメだ」 と言われた。 話が違―――――うっっ!!!
とキレまくって東芝に文句を言ったところ、結局イエローナイフを出てエドモントンへ 行った際、アタシが自分でDHLの営業所まで持っていかなければならなくなって しまった。 東芝からのメールの中には、取りに来てくれるはずがなぜダメなのかという理由が 全く書かれていなかった。 アタシとしてはDHLなんて死んでも関わりたくないところだったが仕方がなかった。
こうしたPCに関する一連の流れは職場で擦り切れた神経をさらに細くさせ、アタシは もうヘトヘトに疲れてしまった。
ストレスも白髪も増えてゆく ページの先頭へ戻る
*待ち焦がれた日 〜2004年2月29日〜
こうしてなんとか踏ん張って、ようやく仕事が終了する日がやってきた。 「あと何日」とずっとカウントダウンをしてきたのもやっと終わりだ。 もうもうあまりにも嬉しくて、増えた白髪も一気に全部黒く戻りそうな気分だった。 終わる日の前日、しきたりだからと上司が言うので個人面談をやり、けちょんけちょん にけなされた。 こっちにも言い分があったが、「すぐ口答えする」などと言われるので反論も出来 なかった。 こんな風によその国で大量に日本人が集まった所に入ると、余計に日本的風習に 染まるんだなぁ、とある意味いい勉強になった。 ただでさえ入る前から向こうの都合で振り回され、必要なことも言わずに黙って内緒 にされ、横暴な社長には虐められ、こんな会社にはもう二度と入るまい。 イエローナイフには他にずっと小さい日本人経営の会社もある。 その会社の方がスタッフの数がずっと少なく、お客として利用した友人たちは揃って 「いい雰囲気の会社だった」と言っていた。 そっちにすれば良かったのかも。会社選びを間違えてしまったな。 入ってみなければわからなかったんだからしょうがないけれど、カナダに来る前から あんなに切望していた会社がこんなもんだったとは、すごく悲しい。
最後の日は土曜日だったのでほとんどのスタッフは休みだった。 アタシはバッチリと机を片付けて挨拶して別れた。 細かい手続きでもう一回オフィスへ行かなければならないのだが、でもとりあえず 仕事は終わったのだ。 オフィスを出て、解放感ではぁ〜っと大きく息をして、こうしてカナダでの最初の仕事 は終わった。 ページの先頭へ戻る
*解放された2週間 〜2004年3月上旬〜
翌日からは、何もない平和な日々がやってきた。 とりあえず朝はゆっくり寝て、それからのんびりご飯を食べ、適当にうだうだ過ごす。 もう仕事のストレスはない。あぁシアワセ!
ところで、カナダでも「確定申告」がある。 ただの旅行者だったら関係ないが、アタシはカナダで働き収入から税金を引かれて いたので申告をする必要があった。 そんなものは今まで全く知らなかったが、ネットで調べてみると色々わかってきた。 なんでも2月の終わり頃に会社は前年1月から12月までの給料に関する「T4」 という用紙を雇用者に送るらしい。 そしてそれを基に4月末までに確定申告を済ませるのだ。 もし既に帰国していても出来るらしい。
確かにアタシもT4をもらった。しかしそれでどうやって申告をするのかまではわから なかった。 きっと英語の専用紙とかがあって、かなり難しいに違いない。 ・・・めんどくさいな・・・。 と思ったアタシは、ネットで見つけたバンクーバーの代行業者「インカム・タックス・ リターンお助け隊」にお助けしてもらうことにした。 イエローナイフは遠隔地なのでT4と手数料$20=約1650円の小切手を郵送しな ければならなかった。 直接会わずに頼むのはすごく心配だったが、悪い評判も見かけなかったしメール での対応も良かったので頼んでみた。 先にいくら戻ってくるかを無料で計算してくれ、結構な額が返って来ることがわかった。 年末年始は随分働いたからなー。 というワケでこっちの問題は$20で片付いた。お助け隊さん、どうもありがとう。
インカム・タックス・リターンお助け隊
さて次に、これからどうするかを考える必要があった。 シェアメイトからも「いつ出るのか」と訊かれたので、テキトーに「3月中旬に出る」と 言ってしまった。 なのでその通り出なければならなくなった。 じゃあ出てからどうするか?
と悩んでいたところ、当面の予定を決める出来事があった。 それは、この夏の仕事のことだった。 イエローナイフで冬を働いた後、スタッフたちの多くはバンフで夏に働くというサイクル にしていた。 アタシはバンフで働く気はさらさらなかったが、PEI(プリンスエドワード島)でガイドと して働くのはいいな、と常々思っていた。 アタシのPEIへの思い入れは「カナダ・初めてひとり旅」に出ている通りかなりのもの があった。 また、演劇部員だったりセンセイだったりしたので人前でしゃべるのには昔から 慣れている。 ガイドは初めてだが、出来る気はする(日本語なら)。 今度こそカナダで充実した仕事経験を送ることが出来ないだろうか。 ただ、アタシのワーホリビザは4月下旬で切れてしまうので、ワークパーミット取得の 手続きをとってカナダ滞在を延長しなければならないが。
ワークパーミット(ワークビザ): カナダで働くことを許可するビザ。カナダ人の仕事を取ってはならないということで 取得基準が厳しい。 まぁ日本人観光客相手の仕事なら日本人でも比較的ラクに取れるらしいが、手数料 が$150=約1万2千円も掛かる。(雇ってもらう人が払わなければならない)
というワケで、PEIの会社について少し調べた。 PEIには老舗の日本人向けツアー会社がある。規模もそこそこ大きく、まさにイエロー ナイフでいううちの会社と同じだった。 それは絶対イヤだ。 そこでもっと小さい会社を探すと、一つとてもとても小さい会社を見つけた。 小さすぎてワークの取得のサポートをしてもらえるのかすら心配ではあったが、 とりあえずメールを送ってみた。 写真でわかったのだが、その会社を作った人は以前アタシがPEIへ行った時に お世話になったガイドさんの一人だった。 メールの返事はとても丁寧なもので、会社の現状もきちんと説明してあった。 新しいので仕事がほとんどあげられないかもしれないとあったが、別にそれは 構わなかった。もうワーホリは終了だし、最後にいい経験が出来るなら収入が 減ってもしょうがない。 これならいいかもしれない。今度こそいいかもしれない。
そう思ったアタシは、4月に面接をしてもらいにPEIへ行くことにした。 実は4月3日はアタシの誕生日。誕生日をPEIで迎えるというちょっとしたオマケも 出来る。 そこで色々考えた末、4月2日にPEIに入れるように15日間のグレイハウンドバス の乗り放題パスを買うことにした。 逆算すると3月19日からになる。 そこで3月15日にイエローナイフを出て、エドモントンで3泊してからグレハンでカナダ 西部と中部を旅行することにした。 そして最後は一気に東へ移動し、PEIで誕生日だ!
この2週間では、さらにもう一つ考えなければならないことがあった。 それは、ワーホリビザから観光ビザに切り替える手続きだった。 夏にPEIで働けなかったら当然必要だし、もし働けるとしてもワーホリビザが切れる 4月23日から次のワークビザ開始の日までの少しの期間滞在するためにも、どちら にしても必要だ。 手数料$75=約6200円が掛かるのは惜しいが、持っていないと不法滞在になって しまう。 そこでまたネットで調べたり会社の同僚に教えてもらったりしながら、申請書を作成 した。
申請書類の中の「どのくらい滞在を延長したいのか」という記入項目で、アタシは いったいいつまでカナダに居るんだろうと考えた。 例え仕事が出来なくても、もともと今年の夏はPEIで過ごすつもりでいた。 そして秋は紅葉を見たい。それから帰国でいいんじゃないだろうか。 これで東部の街も見られるだろうし、も〜うカナダはお腹いっぱい! 辛い冬も乗り越えたことだし、これからは楽しい事がいっぱい待っているといいな。 心の底からそう思う。 オールドタウンへ行ってきました ページの先頭へ戻る
*さよならイエローナイフ 〜2004年3月15日〜
最後のラストスパートで食材を片付け、とにかくギリギリまでバタバタしていたのだが やがてイエローナイフを出る3月15日がやってきた。 バンクーバーのウォールマートで買って以来ずっと深く愛してきたシーツとフトンは 他のスタッフにあげた。 気に入った色だったし、楽しいときも悲しい時も一緒に過ごしてきた彼らに別れを 告げるのは悲しかった。 まぁ帰国前にまた同じのを買ってもいいけどね。
会社がエドモントンまでの飛行機チケットを取ってくれていた。 ガイドさんで同じ時間帯の飛行機に乗る人がいて、会社の車を使えるそうだったので 空港まで一緒に乗せてもらうことにしていた。 大荷物がどうしてもイヤなので必死にモノを減らし、どうにか3WAYキャリーバッグと スポーツバッグに収めた。それでも多いと思う。 さらに今回は東芝が送ってきた大きなダンボールまであって、ジャマだったらありゃ しない。
小さなイエローナイフ空港に着き、チェックインをした。 エアカナダのマイレージクラブでマイルを貯められるので、来る時同様ファースト・エア にしてもらっていた。 機内食もいいし♪ アタシたちが空港に着いてモサモサやっていると、ぞろぞろと会社のスタッフたちが 車でやってきた。 なんだか随分たくさんの数だった。みんな見送りに来たのである。 もちろんアタシのではない。もう一人の出発するガイドの男の子のだ。 彼の飛行機はカナディアン・ノースなのでカウンターがロビーの反対側だったのだが、 ファースト・エアのカウンター前にいるのはアタシ一人、カナディアン・ノースの方は 人だかりになっていた。 でも元々見送って欲しいなんてカケラも思っていないので、搭乗時間まで外をブラブラ 散歩した。
天気は曇りで、相変わらず外は一面の雪だった。 さすが極北地方、全く見たことのない飛行機があったので、飛行機小僧のアタシは 喜んで写真を撮ったりして時間を潰した。 やがて時間になったのでセキュリティチェックの方へ行くと、さっきのお見送り集団が ズラッと並んで座っていた。 しょうがないのでテキトーに挨拶し、早々に搭乗ゲートの方へと向かった。 間近で見たいっす 空港のそばにあったティーピー(先住民のテント)
やがて夕方5:15、アタシの乗ったファースト・エアはこの色々とあった街を離陸して エドモントンへ向かった。 辛い思い出でイエローナイフに悪いイメージを植えつけたくない。 クレイジーな寒さだし物価も高くて不便な街ではあったけれど、それなりにいい所も あった。オーロラも綺麗だったし。 また来るとはどうしても思えないけれど、それなりにいい経験をしたと思おう。 オタク心がうずうず 全く登場しなかったカナディアン・ノース
小さくなるイエローナイフの街・・・ ページの先頭へ戻る
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